友人たちに見送られながら日本をでた。
見慣れた関空のゲートを通る。ちょうどテロ防止のために規制が強くなった頃だったので液体だとかが持ち込めない。手荷物に入れていた入れていたカッターを没収されつつも飛行機へ向かった。
10時間以上のフライトの後ロスアンジェルス国際空港におりたち
、1時間の待ちぼうけをくらったあとyokoさんがでむかえに来てくれた。とりあえず留学の最初のお世話をしてくれるlos angeles infoの人だ。
今となってはあんまり覚えてないのだけど、アメリカに来たっていう気持ちはあんまりなかった気がする。とりあえずの印象は、まぁこんなもんか、という所で日本とさして変わりはしなかった。いったん事務所へいき、その足でホームステイ先に行く。
ホストマザーはreikoという人だ。これまた日本人だかアメリカ人だか分からない風貌で、ただ彼女の話す英語はひどくなまってた。日本語だか何語だかがまざっている英語を話し、たまに語尾にneをつける。どうやらあんまり干渉はしない方の人のようだ。結局は日本人だったんだけど、彼女のアメリカびいきはひどくてこの先ずっとブッシュ万歳、銃社会万歳といって僕らを辟易させた。
荷物を片付けてぼーっとしているとルームメイトが帰ってくる。これまた日本人。masaという名前で、この先アメリカであった日本人の中で4人はこの名前を持っていた。面白い事に偶然大阪大学の院生。お互い知ってる話で盛り上がる。まぁ結局そんなに仲良くなる事はなかったんだけど。こんな感じのホームステイは特に望んでいたものでもなく、一ヶ月で出る事になった。一番嫌だったのはreikoの戦争好き(しかもそう思う事を押し付けてくる)と机にわいた無数の虫。日が暮れると2mmほどの尺取り虫が何百とわいてきて、それを知ったあとは勉強は常に図書館でするようになった。まぁいいところもあるにはあるのだけど、それはvenice beachにすごく近かったこと。このときはチャリを持っていなかったけどバスで(75c)10分もすればつく近さだ。毎週末ここにきてstreet performanceをやスケートボードやスケートの陸上版みたいなやつで遊んでる人たちをぼーっとみながら、ひとことふたこと、話をしてすごしていた。夕暮れには砂浜にジャンベサークルができて、太鼓の音と暑さと気持ちいい風とマリファナの匂いにつつまれてその輪のなかで踊る。アメリカにいるあいだ、venice beachの近くに住む機会を探していたんだけど家賃が高すぎて(ルームシェアで1000ドルくらい)あきらめてしまった。それでもいつかここに住んでのんびりくらしたいって今でも思ってる。
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